〜 こちらの「店長の独り言」を初めてご覧になるかたへ 〜 現在「店長の独り言」は4月に亡くなった愛猫ジャッコのメモリアル日記となっています。 22歳と2日生きたジャッコの思い出をもう少し書かせて下さい。 猫の額 店長 |
■ひょう、セワ、ジャッコ、ハム■ 9月22日 はれのちあめ | ||||||
アイシャ母さんから生まれた子供たちの名前です。 貰われて行ってからちゃんとした名前を付けてもらおうと思っていたので、いい加減な名前の付け方です。 話が20年ぐらい行ったり来たりしてすいません。 自分でも思い出の整理がついていません。 猫の子育てを見ていると飽きません。 仕事に行ってる場合じゃありません。 というくらいずっと見ていたかったです。 アイシャ母さんはいろんなことを子供たちに教えます。 面白いのは人間に甘えたりおねだりすることも教えていました。 子供たちの見ている前でそれに応じてあげないと母猫としてのプライドが傷ついたようでした。 しばらくすると子供たちの中にもリーダーが出来て、みんなその子と同じことをするようになります。 こうなるとお母さんも少し楽になったような感じです。 子猫が貰われて行く時はアイシャも兄弟たちも悲しそうな顔をします。 連れて行かれたあと、猫たちはみんな玄関で座ってずっとドアを見ていました。 いつまでもそこから離れようとしませんでした。 ジャッコだけはお母さんが亡くなるまで一緒にいれたので幸せだったと思います。 アイシャが亡くなって泣いてる私たちをジャッコは本当に一生懸命なぐさめてくれました。 ジャッコには感謝することがいっぱいです。 |
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中に5匹詰まってます | 出ました | お母さんをひとりじめ |
■結構服持ちです■ 9月7日 はれ | ||||||
ジャッコさんは亡くなる半年前ほどから体温低下から守るためお洋服を着させていました。 ぜんぜん嫌がらずに着てくれてしかも可愛く似合っていたため(親ばか)、調子に乗って次々買ってしまいました。 通常猫に服を着せるのは好ましくありませんが、老猫の体温低下防止や 手術後など舐めないようにするには効果があります。 とはいえ派手なファッションをさせる必要はないのですが。 雛祭りや猫の日など記念日があるたびに洋服が増えて行きました。 写真にはありませんが合計5着持っていました。 最後まで体温低下・貧血との戦いでしたが、この洋服のおかげて冬が越せたのだと思います。 ジャッコのお洋服は今もしまう事無く畳んで置いてあります。 服を見るたびちょこちょこ歩き回っていた光景がよみがえります。 とってもとっても良い猫でした。 |
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2月22日の猫の日に買ったお洋服です | 普段着です | |||||
Mさん手作りのセーター | ちょっと小さかった… | このポーズが一番のお気に入り |
■はじめてのお泊り■ 8月24日 くもり→あめ→はれ | ||||||
ジャッコは15歳の時初めて病院にお泊りをしました。 牙から後ろの歯を全部抜く手術のためです。 歯石はたまに取っていたのですが、今後歯肉炎や歯のトラブルがあった場合 麻酔をかけるのが危険な年齢となるため思い切って抜くことにしました。 通常高齢猫(室内飼い猫)には奥歯はあまり必要ではありません 15歳でも麻酔は危険です。(現在は麻酔も良くなり危険度は多少低くはなったようです) しかも初めてのお泊りです。 それまでの15年間ジャッコと一緒に寝なかった夜はありませんでしたので、当然寝れませんでした。 次の日ジャッコを迎えに行くと、なぜか診察室から別室に通されました。 「まさか、ジャッコ…」 足が震えてうまく歩けなかったのを覚えています。 「しばらくお待ちください」と言われ、待ってる間いろんなことが頭の中を駆け巡り 1〜2分だったのでしょうが、とてつもなく長い時間待たされたように思えました。 しばらくすると普通に不機嫌そうなジャッコが抱かれてきました。 全身の力が抜けました。 手術は大成功だったそうです。(先に言えよ〜!) あとで聞きましたが別室に通されたのは単に診察が混んできたからだったそうです…。 その後の7年間、夜はずっとジャッコと一緒でした。 日帰り入院はしましたが夜はずっと一緒に過ごしました。 ジャッコの最初で最後のお泊りでした。 |
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元気一杯 / 食欲旺盛 / 怖いもの知らず 2〜3歳の頃のジャッコ | 「若い頃もあったです…」 (2010,10) |
■世田谷での4年間■ 8月10日 はれ(東京35℃) | ||||||
ジャッコは1歳半から5歳半まで世田谷で暮らしました。 当時はまだペットOK物件も少なく家賃も高めでした。 しかしやむなく住み慣れた杉並を後にしました。(家賃の関係上4年しか持ちませんでしたが) 12畳と6畳という広さにジャッコは走り回ることが出来ました。 フローリングなのでドリフトして滑ってこけます。でもそれが楽しいようでした。 3階で窓もベランダも広くジャッコは世田谷通りの車や人を興味津々で見ていました。 家の前まで帰ってくると窓からジャッコがこちらを見てから玄関に走っていくのが確認出来ました。 亡くなる1か月前まで朝の「お見送り」と帰ってきた時の「お出迎え」をしてくれたジャッコでした。 世田谷の4年間はアイシャ母さんも元気だったのでジャッコはとても幸せそうでした。 世田谷にいた頃のジャッコです。(当時2〜3歳) 2段ベッドの上まで一気にジャンプ出来た頃です。 |
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プチトマトのお世話係です | 隠れてますが見つけて欲しいんです… | どんなおもちゃも喜んでくれました (最初だけ) |
■聖地・阿佐ヶ谷■ 7月27日 はれ | ||||||
最近夜涼しいとお店から家まで歩いて帰っています。 小一時間かかりますが、途中阿佐ヶ谷のジャッコが生まれたアパートの前を通ります。 ジャッコとはここで1年2カ月しか暮らしていませんでしたが、ここに来ると22年前の光景が 昨日のことのように目に浮かびます。 庭の桜の木はもうありませんでしたが、あの扉を開けるとジャッコが待ってるような気がします。 月日が流れるのはとても速いです。立ち止まっていることを許してくれません。 今月22日はジャッコの百か日でした。 もう100日も経ちました。 まだジャッコのぬくもりが腕から離れません。離れなくて良いのですが。 いつかジャッコのことを忘れる日が来るのではないかと、そちらのほうが不安です。 |
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阿佐ヶ谷ですか? | 懐かしいです〜 | 今はどんな人が住んでるのでしょう? |
■新盆■ 7月13日 はれ | ||||||
ジャッコの新盆です。 といってもジャッコは家にずっといるので、どこからか帰って来る訳ではありません。 迎え火も送り火も精霊馬も必要ありません。 でも鬼灯(ほおずき)ぐらいは飾ってあげて一緒にまたたび酒でも飲もうかと思います。 またジャッコの夢を見ました。 ジャッコはずっと寝ていましたが抱き上げました。 ジャッコのやわらかさ、重さを久しぶりに感じました。 抱き上げても起きないのでまたそっと寝床に戻しました。 目が覚めてから嫌な予感がしました。 亡くなって間もない夢の中のジャッコは飛び跳ねて遊んでいました。 もしかしたら夢の中のジャッコは生きていた頃以上に早く年を取っているような気がしました。 夢の中でまた悲しい思いをするのは嫌です。 頑張ってジャッコが若かった頃の夢を見続けるようにします。 もう別れません。一生一緒です。 |
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ニーボンってなんですか? | 食べ物じゃないんですか? | じゃ、いりません |
■なかよし親子■ 7月10日 はれ | ||||||
ジャッコ10カ月頃の写真です。 この頃には兄弟はだれもいません。 上の兄2匹は貰われて行き、下の妹2匹は亡くなりました。 ジャッコも行き先は決まっていたのですが、急にキャンセルとなりました。 1歳になろうとしているのにトイレも覚えず、アイシャ母さんと同じ大きさにになってもお母さんのおっぱいを飲んでいました。 外に出てもアパートの周りをぐるぐる回るだけで遠くへは行かない子だったのですが、 ある日ジャッコだけ髭を全部切られて帰ってきました。 どのようにされたのか分かりませんが、それからすっかり臆病な猫になってしまいました。 外にも出なくなりました。(結果として良かったかも知れませんが) ジャッコの髭を切った犯人は分かっていました。 そのことがきっかけでアパートを出て行く羽目になりました。 ジャッコは生まれた場所が良かったと思いますが、猫を嫌う人も多いので仕方ありません。 新婚旅行に行くはずだったお金はすべて引越し代となってしまいました。 20年以上経ちますが、未だに新婚旅行は行っていません…。 |
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めずらしい屋外写真「木登りジャッコ」 | 「お母さんは枕です」 | 「あっ…」 |
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