南九州サイクリング一人旅

南九州サイクリング一人旅

どうゆう訳か泊りがけのツーリングは8月に敢行することが多いのですが、今回は前々から目論んでいた、昔仲間を訪ねながら の九州サイクリングツアーを、箴言諫言忠告の類はすべて無視、家族たちのあきれ顔もどこふく風と、無謀にも決行したのであります。



1992年(平成4年)8月19日(水)晴れ
葛飾区高砂の我が家から川崎港フェリー乗り場まで
 

 50歳の節目という訳でもないがこの期を逃したらもう二度と行けないと思い、おおよそ のプランをたて荷物をリュックに詰め込み、万が一の為一人用テントを愛車にくくりつけ、なにがしかの旅銀を懐に、ランドナー丸石エンペラー号の人となる。
 朝方から体調芳しくなきを知ってか知らずか、容赦なく照りつける真夏の太陽、そのピークに達した午後1時50分向こう8日間 の旅に勇んで出発。
 先ずは隅田川を越えて都心へ。
 日本橋、銀座の超過密地帯を、本来こういう所を走るのは意にそぐわないも、不本意ながら通過する。
 それにしても皆んな暑そう。

 新橋、品川を過ぎ京浜線沿いにR15号(第一京浜)に入

自宅にて


る。 鮫洲あたりでサングラスを落とす。
 拾う間も無く 後続の車に轢かれてクラッシュエンド。以後眼鏡無しで頑張る羽目に。
 大師橋を渡ってR409を左に工業地帯の中をフェリー乗り場まで走る。

 到着は4時50分 ここまで約30Kを暑さも何のそのペース配分も 気にせずに一気に走りきる。
 しかし体は正直、炎天下を水分もろくに摂らずに突っ走ったせいか
脚はガクガク膝もわらう し先行き少々不安に。

 しばらく物陰で休憩した後、船舶での輪行は初めてとなるフェリー船高千穂丸に乗船する。
 6時出航のはずが定刻になってもさっぱり動きだすけはいがない。20分近く過ぎたころ船内放送で機関の不調が有り復旧作業中 との事、取りあえず汗と埃にまみれた我が身の疲れをとる為風呂に入る。
 何度も言い訳やお詫びの放送を繰り返していたが、ようやく1時間40分遅れで とにもかくにも無事出航。
 食堂で冷たいビールと程々の料理に舌鼓みを打ち、食後は甲板に上がって少々アルコールがまわって火照った浅黒い顔面に浜風を受けつつ、過ぎ行く 京浜の夜景を、 
これから始まる遠き地のサイクリングに想いを馳せながら、  夢見心地で見送るのでした。




8月20日(木)曇り時おり雨
川崎港より日向までのなが〜い船旅 



 下から突き上げられる様な、奈落の底へ落ちてゆく様な、何とも形容し難い揺れで目が覚める。
 此処は船の中、寝勝手の良い我が家の寝床ではなかったっけ。
それにしても1万トンにもなんなんとする巨船なのにこうも揺れるものか。気になるので寝ぼけまなこで甲板に出てみる。
 横なぐりの雨風と海面の大きなうねり、どうやら低気圧の通過中らしい。
 夏とはいえ体を冷やすのは愚の骨頂、この先サイクリングに支障をきたしては元も子もないので早々に船室に戻ってもう一眠りを決め込む。
 しかし24時間丸一日あてもなく船の中で過ごすのは

意外と退屈するもの。
 サイクリングではいつも時間に追われ ながら走ってるが、船の中ではサイクルわけにもいかないし、どうも勝手がわからない。

 何はともあれ退屈しのぎに船内を徘徊したり甲板に出て どんよりと鉛色に覆われた美しくもない空と、
その境目すら区別のつかない似たような海をぼんやりと眺めたり、それもにも飽きるとまた部屋に戻って なんとは無しにシートに座ってみたり、これから走る九州の20万図を広げてみたり、眠くもないのにベッドに横になって 天井の滲みの形を物や顔に見立ててみたり、
これらを各々何度か繰り返し、たった一日が何週間にも感じてきた頃 ようやく船は日向の港にたどり着いたのでした。
 然も出船時の遅れに更に遅れをプラス、午後3時到着予定がなんと 5時40分になるという、
几帳面さで知られている日本のダイヤとは思えぬルーズさ加減。

 おかげで宿泊予定地の延岡までわき目もふらずに一気に突っ走る羽目に。
こうして1時間後無事市内のビジネスホテルにチェックインし、
九州サイクリングツアーの長い長い序となったしだいです。



8月21日(金)雨のち晴れ
延岡から高千穂経由椎葉まで


 家を出てから3日めにして迎えた九州の朝、いよいよ本格的走りとなる期待とちょっぴり不安の中 午前7時、
最初の目的地高千穂めざして雨上がりのぬれたR218号を西へと出発進行。
 空はまだどんよりとして湿気も多めで肌寒いが行縢駅あたりまで来ると雲間から陽も射し始め、体も温まって きてペタリングも本調子。
 げんきんなもので朝方の不安もまるで無かったかのよう。
 景色に見とれて快調に飛ばしたせいか、いつかコースは五ケ瀬川を左に見て旧道に。
 山側はるか上に新道が通っているらしく 時折り絡み合いながら、五が瀬川、高千穂鉄道と共に神話の里高千穂に通じている。
 いつの間にか太陽と入道雲が、我らの指定席とばかり雨雲の去った真夏の空に陣取っている。


 次第に高度も増しギアチェンジも頻繁になり、汗も噴出し気がついてみれば腹も減ってきた。
 走り始めて4時間、おもわず見上げる前方に架かる雲海橋と高千穂鉄橋。
 その高さに圧倒され首が痛くなるまで 見やりながらその下を大きく廻りこみ、一上りして新道と合流する。

 そこが今日のハイライト天孫降臨神代の地 高千穂峡。

 11時、少し早めの昼食を摂る。

 流しそうめんとビールで安息の時を過ごし、絵葉書や旅のグラビヤで見慣れている 真名井の滝をお定まりの構図でカメラに収め、付近の見物もそこそこにして次をめざして出発する。

最初の乗越し津花峠をクリヤー、五が瀬町から蘇陽町に入り馬見原でR218号からR265号に進路をとり
本日最大の難関国見峠を目指す。
 最初の走行プランで、少々キツくも何とかなるだろうと思ったのだが、やはり甘かった。
 南国の暑さと、若くも無い体力であるからしてスタミナ不足で遅々として行程をかせげない。
 自分なりにそうとう頑張ったつもりだったが峠到着は午後5時をまわるていたらく。

 これから先は下りだけだろうと我が身に言い聞かせつつ、休憩もそこそこにともかくダウンヒルの開始。
 およそサイクリングにおいて特に峠越えではダウンヒルなくしては、苦楽の楽を取上げたようなもので 走る意味をなさないワケであるから、先の事は気にしないで今を楽しむを好しとしなくちゃ なんて勝手に意味付けながら、十根川とかわった渓流に沿ってひたすら走り下る。
 R327号との分岐点を右方向になおも走りに走る。

 もう着くだろうの思いもはかなく、時は刻々と過ぎてゆく。
暮れてゆくお日様を追いかけるようにして、なかば放心状態でペダルを廻し続けること1 時間半、 汗と埃にまみれた疲労困憊の薄汚れた顔でようやく椎葉村に午後6時30分到着。
 何はともあれ今夜の宿を確保しなくちゃ、野宿はご免こうむりたいからね。
 てなわけで自転車を押しながら 道沿いを歩いていた小学生位の男の子に‥『此の辺に旅館か民宿か泊まれるとこ有る?』‥すると『僕の家泊まれるよ』 なんと!その児の家は民宿を経営していたのでした。
 くだんの小学生に案内されて商人宿風の民宿に飛び込み、疲れきった華奢な体にはなにものにも代え難き熱き湯船にその身を浸すのでした。



8月22日(土)晴れ
椎葉から宮崎まで


 前日の疲れのせいか鱶のようにぐっすり眠ったようだ。
 おかげで目覚めはいつになくスッキリしゃっきり。
 それかあらぬか宿の若奥さんの『今日はどちらまで』の問いかけに、遠足にでも行く小学生のように『宮崎市街』と 元気よく答えちゃったりして。
するとくだんの若奥さん『ちょっと待ってて下さい』と言って奥へ‥ややあって『峠あたりで昼時になるでしょうから』 とオニギリを作ってくれました。
 奥さんにしてみれば、こんなオジサンがしかも自転車でここから宮崎 まで往けるのかしらの不安が、多少なりともあってのおもいやりかも知れません。
 そういえば昨日も日ノ影 あたりの道端で20万図を広げていたら、通りがかりの小型トラックがわざわざ停車して、多分地元の人でしょう、 気のよさそうな運転手が事細かに道案内をしてくれったけ。
 九州の人びとは肥後もっこすとか薩摩隼人とかいわれて、豪放磊落で頑固一徹な性格 の人が多いと思っていたが、親切で心やさしい面のほうがむしろ強く持ち合わせているのかも知れません。
 ともかく奥さんに深く感謝し、今朝の天気のように晴れ晴れとした気分で8時30分名残惜しい椎葉のやどを後にしたのでした。
 気分爽快にペタリングすれば残った疲れは雨散霧消、ストレス皆無、すべてが万々歳でおよそアクシデントなぞおこる筈がない などと一人悦に入り、ひえつき節なんかを口ずさみつつ一汗掻く頃、R265号も椎葉ダム湖畔へととりつく。




 しばらくはダム湖を右手に眺めすこしずつ高度を稼ぎながら奥へ奥へと進んでゆく。
 湖もいつしか渓流、沢へと様相を変えこれ以上直進はきつく思える頃、道は左に大きく回り込んで 本格的上りへと我が愛車をいざなっている。
 前日越した国見峠の時はまるで余裕のないアタックだったが、 今日は時間もたっぷり有るし昼飯も心配無いし、余裕綽々、泰然自若なにが有っても驚かない、そんな心意気で 峠を目指す。
 とまあそうは言っても山肌をなめるが如くはたまた折り返すが如く、ぐいぐい登って行く 峠道はいずこも同じきついもの。

 人っ子一人、車も稀にしか来ない山また山の奥の奥、人目を気にする必要もなく 押しの連続。
 お蔭で天気の好さもあい味方して、九州山地真っ只中の大自然を思う存分満喫するのでした。


雄大な景観の中、舗装はしてあるが国道とは名ばかりの265号を、 しばらくはインナーを使ってのノロノロ走りとそれが駄目なら押しの一手と、少しでも標高を かせぐべく黙々と前進する。
 苦痛ではない適度の疲労と暑さも手伝ってシャツも下着もグッショリ、 『たまらんなあ脱いで乾かすか』なんて考え始める頃峠に到着。



あまり風情のある峠ではないがその名も飯干峠。
 時刻は11時丁度をさしている、 これが早いのか遅いのかは判らないが大勢に影響はなしなのだ。
   ここまで充分ハッピーなのだから。
 すぐさま上半身裸になり丁度いい枝振りの小木を見つけて衣類を干す。
 乾くのを待つ間、朝の出掛けにさわやか奥さんがこしらえてくれたオニギリに、コッヘルで沸かした携帯味噌汁を付け スペシャルランチと洒落込んで、八百万の神々よろしく天上の昼じきを気どるのでした。

切り通しの飯干峠

 肌着を干して飯を食う、それで飯干峠か....くだらない冗談はさて置いて、シャツも乾いたし腹も満たしたし 目の皮がタルマナイうちにくだるとしよう。
 毎度の事だが下りは心が弾むもの、昨日のダウンヒルと似たような パターンの道を、落車転落だけは御免こうむりたく慎重なコーナー捌きで、それでいてスピードは極力 落とさず、その相反するジレンマをむしろ楽しみながら走り下るのです。

   そうこうするうちR446号と合流しおよそ1里(古いか?)程走ったR265号との分岐標識板に 百済の里への案内表示が。
 一瞬 えっ!なんでこんな山奥で韓国が出てくるのと戸惑いつつちょっと興味も なきにしもあらずだったが、寄り道するには遠すぎるし、ここは当初の予定どうりR265号をそのまま南下する。 



 山あいの道を気分よく走っていると突然左手に大きな水音。
 振り返るとこれが滝だった。
 国道沿いに水しぶきがかからんばかりの滝が落ちているとは、さすがは九州の山奥だ。
 建材の切れ端だか余り木に
【野地の大滝】と標して無造作にガードレールにくくりつけてある。
これ位の滝だとちょっとした所ではりっぱに観光名所として通用するが、 さすがに山深くて交通の便が悪いか。
 

なかなかの景観ゆえ滝をバックに走っている写真をとることに。
 なにしろ一人旅だし周りに人なぞいるわけもない し、セルフタイマーでのシャッタータイミングに結構苦労しつつ無事撮影終了。

 

 再び走り始め西米良村村所 でR265と別れ一ツ瀬川に沿ったR219を西都原目指して下る。
 清流を右に左に意識しながらおよそ25km 程走ると大きな湖が現れてきた。
 一ツ瀬ダム湖だ。
 大休止するにはうってつけの広場があったので、 暑さと相まって疲れも ピークに達したゆえ、傍らのベンチでしばしのまどろみ。
 時折今日の走行を思い出しながらうつらうつらしていると、 『どこまでいくのかね』いかつい男二人に声をかけられる。
 振り返り見るとダンプの運転手・・『ええ宮崎市街まで』 すると我が愛車を眺めていた一方が『まだ大分あるよ自転車ごと乗せてってあげるよ』 どうやら用事があってよんどころなく走ってるか、もしくはよっぽどくたびれた顔に見えて気の毒に 思ったらしい。
 見た目とは裏腹なやさしさに感謝の気持ちをこめながら丁重に辞退し、 走り去る大型ダンプ2台を見送ったあと、負けじと我が愛車に跨り、 へばったからだにムチ打って走り汚れた銀輪をフル回転させるのでした。
 余裕があるつもりでもどうゆうワケか毎度の如く時間が足らなくなるのが常で、 西都原古墳群の公園内に入ったのは西日も雲間に見え隠れする午後の4時20分。
 残念ながらオーバータイム で資料館には入れず、園内に点在する前方後円墳、方形墳、円墳などいくつか見てまわりはるか遠き古代に思いを めぐらしながらランドナーエンペラー号を宮崎へと進める。
 人も車も徐々に多くなり爽快な山岳サイクリング から都会の喧騒のなかに舞い戻り、夢から現実に戻ってしまったよう。大淀川河畔橘橋近くのホテルに飛び込んだ のは西都原を発ってから2時間後のことでした。
 延岡でもそうでしたがホテルに宿泊した時は近辺の居酒屋 で一杯やるのが無上の楽しみ。
 ここでも例外ではなく昼間の疲れもなんのそのR220(橘通り)裏手のたいそう賑わった 一角のこじんまりした店に入りカウンターなんかに着席。
 酒と料理とおしゃべりでいっときを過ごし、ほろ酔いかげんでホテルに戻る。 
 シングルベッドにもぐり込み『今日も無事におわったなー』とため息まじりに つぶやきつつ瞼を閉じると、今日一日走った轍の跡が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、それも夢かうつつかおぼろげ となりやがて深かーい眠りにつくのでした。



8月23日(日)晴れ
宮崎から都井岬まで


寝心地が良かったのか、多分疲れていたからでしょう不覚にも寝過ごしホテルを出たのは9時05分。
 街角のコンビニでパンと牛乳を買い外のベンチで遅くればせの朝食を摂る。
 前二日間は山又山を走破するいわゆる山岳ツーリング、今日は日南海岸を観光気分で都井岬まで 走る、言ってみれば海浜サイクリングとでも申すのでしょうか。
 アップダウンも少ないだろうし、疲れてきたら汐風が火照った 体を冷ましてくれるだろうし、移り行く海の景色を眺めながら鼻唄交じりにペタルをこげば さぞかし楽しいハッピーなサイクリングになるだろうし‥‥なんて気楽に想いを馳せながらいざ出発進行。
 まづ青島めざして出発したつもりだったが、いつの間にかパームツリーだかフェニックスだかの並木が延々と続く高架のりっぱな道路を 走っており、しかも道は右カーブして内陸の方向へ延びている。
 なんだか自転車が通行するのは場違いな気がするし 、道も間違ったような気がするしで、 愛車担いで下に降りる。
 兎に角海の見える場所へ行かなけりゃとばかり土地勘も無いまま左方向へ。
  やがて飛行場に突き当る。宮崎空港だった。
 遠くに飛行機を見やり、なんとはなしにウロチョロしながら南下するとやがてローカル色豊かなR220号に 合流出来た。やれやれでした。


一汗かく頃青島に到着。日曜とあって海水浴場、子供の国は家族ずれでたいへんな 賑わい。
 海水浴場ではついつい泳ぎたい誘惑に駆られるが、ここはグット我慢する。
 なにしろトライアスロンの経験なぞまるでないし、体力にも自信が無いし。
 青島へも人人人の大行列、渡るのは割愛し、のどが渇いたのでみやげ物店のソフトクリームなんかで一息つき先を いそぐ。

青島海水浴場

 道が上り坂にかかり『なんだ!また山岳サイクリングか参ったな』と思わずぼやきながらも
登りきると目の前に大海原が、ここが名にし おう堀切峠。


 人気のビューポイントだけあって人も車も結構多め。
 眼下に展開する 鬼の洗濯岩とやらに深く感じ入りつつ名所をあとにする。

 次なる観光地は鵜戸神宮。

 たいした手間はとらないで 着くかなと気楽に走ったが海岸線は意外と入り組んでいて、視線の先には次々に岬が現れてくる。

堀切峠からの鬼の洗濯岩

 文字どうり湾曲した浜辺の道をこれでもかこれでもかと繰り返す辛さは、峠めざしていて何度もみせかけのピーク に裏切られるのと相通じるところがある。
 なにしろクリアーした岬をまわったとたん次なる岬が 深く弧をえがいた海岸線の遥か彼方に、墨絵風に霞んだ姿でしつこく挑発するように現れてくるんだから。
 大体サイクリングにおいて始点から終点まで行程が見透しなのは精神衛生上意外とよくないかも。
 『うわーあそこまで走るのか』なんてね、やっぱり‥見ぬもの清し‥違ったかな。
なんだかんだ思いながらも  12時50分鵜戸神宮に到着。


 とりあえず腹ごしらえを先にしてから神社を拝観。
 社殿への道すがら何を祭った神様かな、なんて柄にもなく詮索。
 その昔民謡なぞを少々かじっていた頃 仲間の一人が『うどさん参りは春三月よ‥鵜戸の神社は結び神』なんて素っ頓狂な声を出していたっけ。
 とすると縁結びとか安産願いとかの神様か。
 因みにオハヤシは『コンキコンキ』なんて言ってたな。


   普通神社仏閣の本殿や本堂は段々と昇りつめた所にあるものだが、ここは断崖絶壁を降りていく。
 階段の真っ赤な手すりがやけにまぶしい。
 さすが南国の神様だけあっておごそかと言うより 底抜けにあかるく陽気な感じ。
 陽気と言へば運玉投げもユニークだ。


 舞台作りみたいなテラス状の所から 眼下の岩場にしつらえた的に向かって、カワラケのような運玉を投げつけ上手く命中したら願いが叶う というもの。
 その的もよく見ると、しめ縄を輪にして岩を削ったような窪みの水たまりを囲ってある。
 すがた形がなんとなく艶っぽく見え思わづ笑ってしまった。
 なるほどこれは夜とぎ秘め事和合の神様だ。
 しかしお神霊に物を投げつけるなんてバチがあたらないのかな。
 次々に試みる参拝客をながめながらいらぬ事を 思いえがきながら社殿をあとにする。

 この先見所盛り沢山なれど時はすでに2時をとっくにまわっている。
 都井岬まで 何時間かかるか分からないし、ナイトランは避けたいゆえ観光はすべて割愛しひたすら走ることに。
 南郷でJR日南線やR220号と分かれてからは車の数も大分少なくなってきた。
 幾つ目の島になるか猿生息地の幸島が見えてきた頃、疲れはピークに達し都井はあきらめてこのあたりの 民宿に飛び込もうかなんて少々弱気に。
 そうはいっても脚は無意識にペダルを踏み続けている。
 これもサイクリストの悲しい性か。

どの辺りだったかな?

 一旦海から離れ再び浜が現われるとサーフィンを終えて引き揚げて くる若者と遭遇。
 疲れた顔はみっともないので作り笑顔で無言の会釈をし、元気そうな後姿に見えますように と祈りながら最後の小さな岬を通過。
 やがて道は上りにかかり、疲労も限界に達し体は 真綿のごとく今にもちぎれそう。
 空も次第に暗雲たちこめ夏の5時にしてはかなりの暗さ、おまけにぽつぽつ 落ちてくるし、登りきってもまだアップダウンはあるしで、目の前を馬が横切っても宿に入りたい一心で まるで眼中になし。
 精も魂も尽き果て虚ろな目ながらようやく民宿を探し当て無事投宿する事が出来ました。
 時に午後5時55分でした。
 今回のツーリングにおいて一日の走行距離は大体100kmをめどに計画を立てていたが 今日ばかりは150キロくらい走ったように感じた。
 もっとも全行程海岸ばかりというのは初めての経験なので 勝手が違ったのかも。
 何はともあれお定まりの風呂をすませ、夏休みとあってアルバイトの女学生が運んで 来てくれた夕食のビールと料理に舌鼓を打ち、一息つくまもなくあまりの疲れか文字どうり大の字にバタンキュウ。
 大荒れの空模様の中、海鳴りを子守唄に、大海原の底深く沈むがごとく寝入るのでした。



8月24日(月)雨後晴れ
都井岬から指宿まで



 朝まだき昨夜来の荒れ模様とは違う物音と気配で目が覚める。
 犬や猫にしてはやけに大きな音だ。
 寝ぼけまなこでカーテン越しに外をのぞいて見ると、これがなんと野生の馬。
 それも7〜8頭くらい群れをなして 朝食の最中。
 海の見える広い丘で草を食んでいる馬の写真をイメージしていたので まさかこんなかたちで対面するとはオドロキでした。


 おもてに出ると、今しも群れの一頭がわが愛車に向かって突進して来る。
 ヤバイ!蹴飛ばされてスクラップか。
 だが心配は無用、かたわらの餌さとなる草を食べに来ただけのことでした。
 やれやれ。  
 

 いつまでもお馬さんの食事を眺めていては失礼なので、私も早めの朝食にする事に。

 愛車の点検注油を済ませる頃には岬馬とも呼ばれる野生の馬さんも、 何処ともなく
立ち去り、静けさも戻った朝の8時、我が方も準備万端身支度をととのえ 宿を出発。
 昨夜来の風雨がおさまりきらずポンチョの厄介になる。
 真夏と言えども 雨風はサイクリングには天敵のようなもの、なにしろ無防備で風雨の中を走ろうものなら、それはもう 自殺行為。
 体力の消耗が激しすぎるのです。 過去に何度も経験済みだから間違い有りません。
 ともかく防水おさおさ怠らず、スリップ、落車に気をつけながらアップダウンとカーブの連続する 都井の丘陵を駒止の門まで走る。
 馬や猿とはここでお別れ、先ずは都井峠を目指す。 ピークを過ぎる頃には 天気も急速に回復。
 真夏に逆戻り、暑くなったらポンチョなんかとてもじゃないが着ていられない。
  我ながらことほど左様に身勝手なものです。 串間を過ぎると志布志湾にでる。
 しばらく単調なランが続き、 視線は左側の海にばかり。  遥か遠くの岬を見やり、あの向こう側に宇宙ロケットの基地があったりするのかな なんて思ったり。
 やがて海も見えなくなりR220号が鹿屋に入るころには、腹の虫も鳴きだしてきたので、 町の食堂に飛び込む。
 鹿屋では、特攻隊の遺品等を展示する資料館を見学する予定だったが、例によって時間がない。  残念だが断念して先をいそぐ。
 しばらく走ると又また海、今度は名前が変って鹿児島(錦江)湾。
 道はR269号となり、右手に海を見る事になる。
根占港を目指すとゆう事はカンカン照りの太陽を正面から受けて 走るということなり。 これは辛い。
 おまけにサングラス無しときているから、暑い!だるい!眩しい!の三重苦、 まったくいい歳してよくやるなと思うわ。
 家に帰ったら『そんな思いをしてまで走ることは無いのに』なんてイヤミを 言われそう。
 実は今回旅立ってから、まだ一度も家に連絡していない。
 昔から旅行でもサイクルツーリングでも 出先から電話一本したことは無い。
 家族の者もそれが尋常と思っているからヘンに電話や便りなどすれば 逆にオドロカスことになるのです。
  余計なことを言っているうち根占港に到着。
 今まさに出航間際、係員の手招きに誘導されるまま 大きく口をあけた船底に滑り込む‥じゃない走りこむだ。 時は午後2時50分でした。
  山川港まで約1時間の船旅、疲れを癒すには程よい間合いだ。 潮風も心地よいし。
 デッキのベンチでウトウト しているうちフェリーは山川港に着岸。
 港を一巡りするような感じで海岸線沿いを走り、指宿に向かう。

 午後4時20分指宿駅到着。


 先ずは落ち着き場所を決めねばと、駅前ホテルの室を確保する。
 休む間もなく、荷物、自転車を宿に置き、友人に逢いに。
 実は今回のツーリングの目的の一つは、 昔仲間の迫昇一氏を訪ねることだったのです。
 その昔、私の店の前で寿司屋を営んでいた彼が、故郷の指宿に 戻り、駅の近くにすし処『迫寿司』を開業したと云う訳です。
 云って見れば〈故郷に錦を飾る〉ですか。
 とにかく事前の連絡アポ無しでいきなり訪れたから、昇ちゃん驚いたのなんの、ただでさえ細い目が点になり 『来るんだったら言ってくれれば良かったのに』と少々残念がっていました。
 その晩は彼の美しい奥さんと 中学生高校生の二人の娘さん共々夕食に出かけすっかり歓待され、13年ぶり積り積もった思い出話に 花を咲かせ、夜が更けるのを忘れて盛りあがるのでした。



8月25日(火)晴れ
指宿観光ドライブ


 当初は、この後も走り続けて鹿児島に泊まり、列車、新幹線と乗り継いで帰宅する予定 だったが、『せっかく来たのだからゆっくりしていけば』の言葉にあまえてサイクリングは此処までで おしまい。
 昇ちゃん運転のボンゴ車で指宿近辺の観光ドライブをすることに。
 初めに知覧の武家屋敷 と特攻平和会館を見学。
 特攻平和会館では映画の撮影中でした。タイトルは(月光の‥何とか)だったかな。

知覧の武家屋敷にて


 そこから開聞岳に向かって道を南下、イッシーでお馴染みの池田湖へ。
 湖畔に立つイッシーの模型と、水槽の バカデッカイうなぎが、印象的でした。
  天然砂むし風呂の伏目温泉は人の気配が無く入浴出来そうにないので 指宿に戻り、市営砂むし会館で入ることに。
 昇ちゃんは仕事があるからと先に店にもどる。
 館内でユカタに着替え、砂浜に降りていくと広く大きな型枠の中に砂が敷き詰めてある状態の風呂場(砂場か?) がある。

 係りのおばちゃんが丁度いい大きさに穴を掘ってくれ
その中に仰向けに横たわる。
 その上にドバドバと威勢よく というか情け容赦もなくというか、
手馴れた動作で砂をかけてくれる。
 これって云ってみれば生き埋め?。
 最初は砂の重みで息苦しいが、10分も経たない
うちにじわじわ汗が吹き出てくる。
 我慢の限界に達したら 砂から這い出て、
会館内の湯船につかり仕上げとする。
 気分はまことに爽快なり。

湯上りで火照った体に浜風を受けながら、歩いてホテルにもどる。
 その夜は昇ちゃんと指宿のナイトスポットに繰り出し 、南国美人を相手に夜遅くまでグラスを傾けるのでした。




8月26日(水)晴れ
九州一人旅最終日

 今夏の気ままな一人旅も本日をもって打ち上げ。
 苦楽をともにした我が愛車は輪行袋に収め宅急便で送り、前日奥さんに手配してもらった
飛行機予約券をポケットに、 二日間世話になった迫夫婦に別れを告げて、
鹿児島空港行きのバスに乗り込む。


自転車、船、乗用車、バス、飛行機と乗りつなぎながら、
総走行距離約550km、8日間の
九州サイクリング一人旅はとにもかくにも
無事完了したのであります。
   おわり。